2011年02月27日

日々の仕事を誠実に続ける意味

 最近は、ずっと仕事の責任から逃げてきた自分のままではいられない状況になってきた。
給料の査定もあるから上司からの見えも非常に悪くなっている。
 部下をただ私ではできないから、と命令で働かせてきたつけが回ってきているのだ。(^_^;)
責任回避で仕事をやってるフリばかりだから、実際の仕事をやったとしても、いつもやっつけ仕事で、身にもつかないし、ただ自分の無力さから、すぐに部下を頼るのだった。
 あー、これでは私自身の力なんて強くなるはずもないから、部下にうまく甘え、同情心なども煽ったりして、仕事をさせていくしかないなかったのだ。
 その結果がこういう事態を招いているのだけれど、これを挽回しようと考えると、途方もない気がして.....。

積み上げてきたカルマがなんと多いことか (^_^;)
ただここを突破しないことには、このアリ地獄から這い出すことはできない!
能力がないんだ、弱いんだ、仕事以外で社会にはりっぱに貢献しているんだ、と言い訳をしても、今の雇用条件は、会社の仕事をして、ナンボ、という世界だ。
 また政治状況などを考えても、阿修羅社会であることは間違いないのだけれど、自分がいかに貢献していたとしても、所詮、阿修羅界だから、永遠に、その輪廻の中でぐるぐるしているに過ぎない。

 実は私はそんな阿修羅界が大好きだ、ってことが最近、わかってきて、愕然としたのだった。
とにかく相手の悪口や、他人のせいにして、自分はただ、経営側の言うことに従って、動いてきただけ、と言い訳をして、自分で考えようとも、状況を変えようとも結局していないのだ。

 仕事に真剣に向き合わず、その言い訳として社会のためにやったと言っても、それは自分の阿修羅界の楽しみとして、やり続けてきたにすぎないのだ。実際に社会に役に立った面はあるかもしれないが、そうだったからと言って、今まで、学びのためにある課題としてのカルマはそのまま残ったままだったのだ。(^_^;)
まるで夏休みが終わる頃、宿題をしないで焦っていたころのようだ。(^_^;)

 そう黒柳徹子が面白いことを、久米宏のラジオなんですけど、に出て言ってた。
それはNHKドラマに出演中、病気でやむなく1ヶ月ほど入院して、退院するときの話だ。
病気にならずに死ねる方法はないか、と医者に聞いたら、1つだけある、と言うのだ。
「それは非常に難しいのだけれど、好きなことをして暮らすこと」と言うのだ。
黒柳さんは「それじゃあ、明日から旅行に出かけ、おいしいものを食よう」と言うと、
「そうじゃないんですよ。難しいけど、仕事を積極的に自分からやり出すことなんですよ。」と答えた、と言うのです。そうやると真剣になるし、前向きになれるし、やることが全部、自分にしみていって、力になっていくのです、と言うのだ。
 あー、これをいついつまでにやらないといけない、といやいややってると、それがストレスになって、病気につながってしまうのです。

 あーあ、こういうことをずっと、これまで繰り返してしまってたなー。(^_^;)
どうしよう。居直るか、もう覚悟を決めてやるか。これから、考えてみる。
................(^_^;)
posted by かもう しょう at 23:16| Comment(5) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月11日

自分自身の真実を知る

自分自身の真実を知る、ということがいかに難しいことなのか。
それは汝自身を知れ、ということで、それが悟りになる、とのこと。
 それには、自分の過去をよーく、論理的に振り返っていけば、答えはかかれている、とのことだ。

 私は、小さな頃から科学者に憧れていて、絶対、科学者になろうと思っていた。
ところが大学時代に挫折したものだから、それからは自暴自棄な人生だった。

 女房がなくなってから、3年ぐらいで彼女と知り合い、SEX,グルメ、花さんぽ三昧だった。

このへんは婚外恋愛初体験日記に詳しい。

http://lovesex.kt.fc2.com/

 それでは、人生は何か、自分ななんのために生きてきたのかは、先の自分自身を振り返り、悪かったことを素直に反省し、2度とやらないよう、決意すればいいだけだ。

 こんな簡単な原理になぜ気づかないのだろう?

実はこれも先生から教えてもらったんだけど (^_^;)


これでアーカイブ
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2008年09月11日

私の決意

私は自分の仕事に責任をもち、自分を愛し、人にも思いやりをもって接していくことを決意しました。
 またプライベートな時間を使って、人々に真実の姿が見えるようなサイトを運営し、続けていかれるよう、会計を透明化したシステムを構築していきます。
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2008年09月10日

人生を振り返って

また先生の説教でわかったこと。
どうも前世の生き方に戻ろうとしているようだ、とのこと。
よく自分でも考えても、指導したりはしているんだけれど、自分自身で汗水流してやっていないのだ。これでは直接、学ぶことはない、というのも事実だし、指示するだけだから楽で直接の責任をとることもないし、意欲も少ない。あんみつ姫の部分だろうか?
 いやあまりにも今世の境遇に慣れない、というかまだ反発しているようだ。なんか鬱積したもんもんとしたエネルギーがたぎっていて、それをHPなどで吐き出しているのだろう。
 本当はすごい政治家になり、人類はこうあるべきだ、などと言っている姿を自分自身夢見ているのだが、それは現実にはありえない。
 いろいろな偽善やHPによる偽善者の偽装、管理職的な立場に立って人を使って、自分は楽をしようと小賢しいズルをやってきた。
 思い返すと、一流の大学院にはいれなかったことから、自暴自棄になってきたのだ。
 小さなベンチャー企業で、大卒もいない企業で自信過剰になって傲慢、うぬぼれている自分がよく見える。
あー、ほんと、損をした!!
変なプライドをもっていたために、いろいろ学べる機会を逸してしまったのだ。単なる部下の機嫌取りだけの管理職みたいな仕事に甘えず、自分から積極的に仕事に取り組んでいたら、もっといろいろ学べたものを....
 今でもC++言語の新しい概念を理解するのにも苦労しているから。(あれっ?、でも3年前よりはわかるようにはなってきているなー。でも他の普通のプログラマと比べてもまだまだだけど....)
posted by かもう しょう at 11:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月14日

55年間の人生を振り返って

私の小さい頃は、よくかけ布団を頭からすっぽりかぶり、いろんな空想をしながら寝たことを思い出した。
 またたまにお袋が即興の御伽噺をしてくれることがあり、そんなのを聞きながら寝たことも思い出した。
 なんで思ったことは実現できる、って思ってた、空想癖のある子だった。(^_^;)
 そんな小学校の6年のとき、憧れの彼女と同じように進学校への塾に通い始めたのだった。(彼女は歯医者の娘だった)
でも残念なことに彼女は、国立付属中学にはいけず、私も結局、警察官の親の収入ではちゃんと付き合っていけない、とのことで断念した。
で、彼女は、地元の中学に行かず、離れ離れになったのだ。
 それをどうにか有名進学高校に行けば、いっしょにまたなれる、と思い、一生懸命、勉強してはいったものの、そこは私にとってあまり居心地のいいところではなかった。成績も努力して、中ぐらいしかとれず、1年の終わりごろにはおしりの方に近かったものなー(^_^;)
 あー、なんせ、競争社会、格差社会の現実を見せ付けられたようなきがする。
 そんなこんなで国立大学にはいって自分の好きなことに打ち込んで、学問していたものの、2年生でだいたいやりきったつもりになってしまい、その後、本来の目的とは違う、数学のカタストロフィー理論などの数学のツールに興味が移ってしまい、結局、ものにすることができなかった。
 学問の数学をマスターするのに挫折して、ただ権威だけはつけたい、という無謀な考えから、1年間、大学院に進む受験勉強をはじめ、ひいこもりの人生をはじめたのだった。ただ、結局、それにも失敗して、地元の大学院に進むことになって、本来の夢であった、心の科学者になれる希望がきれてしまったのだ。
 まあ、ここからが転落人生のはじまり、と言えるだろう。
 結局、そのためか、甲状腺機能亢進症の病気で2,3ヶ月、大学病院に入院するはめになったのだ。大学院に戻っても、あまり自分の居場所がなく、手話のボランティアをやったりして、自分の存在を認めてくれる居場所を求めていた。
 結局、大学院生活も終え、就職も先生のすすめるままに小さなベンチャー企業に就職したのだった。何か、自暴自棄になってる感じだった。(^_^;)

前世のあんみつ姫からの思い癖か、とかくおもったことはすぐかなう、とばかりに他力本願なところが大いにあるのだ。
 これからは自分の背丈にあった夢を求めて、着実にこつこつ努力することを目指そうと思う。
 夢を見そうになったら、自分の実力や努力のしているかよーく自分を見直して、やりきろうと誓った。
 岩殿山の断崖の上に座禅を組み、富士山に真正面に向かって、約束したのだった。
 ここがこれからの私の修行のマイスポットにしようと思う。
(^_^;)

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2008年04月19日

浮遊霊のプワプワ人生

自分の人生を振り返ってみたら、小さい頃から先生などに、「おまえはフライパンみたいに、ふらふらしている奴だな」とよく言われた。
もうその頃からふらふら、プヨプヨした人生を歩んでいたのかもしれない。何か、真剣にやることにあまり意味を見出せない、というか、逆にそういう奴がいると、邪魔したくなることがある。それは嫉妬の裏返しかもしれないけれど。(自分自身もそうされたこともあった。中学3年のとき、他の馬場や中尾や田中君なんかは高校受験に一生懸命がんばってる私に嫉妬してる感じがしたものだ。)
 逆にそんな奴になりさがっているのだろうか?
あまり認めたくないんだけれど。
でも振り返ってみると、そういう面が多く出てきてしまっている。
泉へのやつあたり、統計の先生への非常ベルをバドミントンでたたいて鳴らしたり、大学院受験の後輩にいたずらしたり、など。
嫉妬、うらやましさ、などがあったのは確実だ。
 できるだけ楽をして、金儲けするのが、賢い人生で、苦しさや悲しみをできるだけさけ、遊びほうけて、楽しく人生を過ごせれば一番いいと考えていた。それはなるべく責任を負わず、その責任が生む苦しみや悲しみから逃げ回り、楽だけを追い求める人生。そのときだけ、楽しく遊んで生きていかれればいい、という浮遊人生だ。
どこにも根を下ろそうとせず、着実に地に立って歩くことなく、まわりに流されるままに、そのときそのとき、楽しく生きようとするキリギリス人生なのだ。
 なるべく未来を見通そうともせず、未来への責任も放棄して、この刹那の人生を思いっきり楽しんで、他の人の迷惑なんか、知ったことじゃない、そんな迷惑人生なのだ。
 でもそんな人間ばかりだったら、どうなんだろう?
心ではりっぱな人になりたい、と思っているものの、実際の行動はそんな刹那的な快楽しか求めていない人間なのだ。
 もし神様がいたとしたら、そんな人間を何とかして更正させたいと思うだろうな。
 でも人からとやかく言われて直すのもしゃくな気がするなー。
でも、どうする? そんな刹那的な生き方をまだ続けていく?
なんの向上も進化もない、動物的な生き方を。

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2008年01月09日

過去世から見直して

今日の先生の説法はしつこかった。(^_^;)
まあ私のことを思ってのことだろうけど、もういい加減やめてくれ、と言いたい。
 だけどあたっていることはあたってるんだろうけど.....
直前の過去世では、私は悪いことをして信じていた人にも裏切られて、結局、リンチにあって、人々を恨みながら亡くなった、とのこと。
当然、そのような仕打ちにあう、悪いことをした報いだったのだが、その恨みや人間不信は消えなかった、とのこと。
まあそれはこれまでの私の生き様を見たり、私の言うことを聞いて判断したようだ。
 この世に生まれてくる中間生では、もう絶対、いい人でいよう、と決意したようだけど、実際は、表向きだけで、影では小賢しく他人の成果を奪うようなことをして生きてきている、ということだ。
第3者が言うのだから、本当なんだろう。私は、それは経営側につく管理職としてそういう役割なのだ、と言い訳をしてるけど、実際、仕事はせず、責任あることからは極力、逃げ回ってきたことだけは確かだ。
 まあいいこともしてきたけど、先生に言わせると、それはねずみ小僧と同じで、自分の罪悪感をぬぐうためだけのいいこと、だと言うのだ。
それは現代人、全般にも通じる話らしいのだけど....
 よって今世でよりよく生きるには、過去を振り返って、その過去世に縛られた生活態度を反省し、過去に神様が与えた悲しみをそのまま受け取るようにして、また、過去に自分が他人を思いやれなくて犯してきた罪を認め、自責の念にかられ、もう2度とそのような人生を歩まないようにしようと決意することだと言う。

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2008年01月07日

宇宙の存在意味とこれから生きる決意をするにあたって

決意するにあたって、整理しておきたいことがある。
まず、魂などが本当にあるのか、という命題だ。
 当然、科学的に立証するのは現代の科学では無理だ。
あったとしても、疫学的な検証方法でしかない。
 すなわち、いろいろな原因や結果から総合的に因果関係を探って、
何らかの形で記憶が受け継がれている、という事実が否定できない以上、魂の記憶はあると言わざるを得ないのだ。
 またこの世での進化や最初の宇宙の発生やモノや生命の存在について考えていくと、これまでの人間の考えからすると、最初に何らかの意思があり、その後、モノが創造されるように、何らかの自然の方向性やそこに何らかの意思(?)も認めざるを得ないだろう。
 もちろんそこに意味や意図を読み取ろうとすること自体、筋違いのような気もする。だって、それが自然な今の流れなんだから、という単純な説明がついてくるからだ。だったら、その自然の流れ、って何だろう、ということになり、結局、その自然の流れ、そのものの意味づけを知りたいと思うようになってくる。
 それは自然の原理、そのものの意味を理解したい、という究極の意味論であり、自分は何で生まれてきたのか、などより、もっと根源的な、この宇宙自体の存在意味まで問われないと結局、解決できない問題となってくる。

 さてこの究極の命題である「この世の宇宙の存在意味とは何なのか」、ということだが、ある人によると、魂の進化を進める場ということらしい。だけど、さらに根源的な意味として、その進化を進めることによってどうなるのか、と突き詰めて考えていくと、結局、サイクリック宇宙論に基づく、宇宙自体の生成、進化そのものと同じで、人間や生物、そして魂そのものの構造をそれら自体ももっていて、いわゆる、意味論における、フラクタクルな構造があるだけだ。
 生物、魂、そして宇宙全体が進化、成長していって何の意味があるの、と言われれば、それ以上、何も言えないけど。でもそれはそれでしあわせを感じる自分がいればそれはそれでいいんじゃない、って思う。
でもそのしあわせが自分だけだったらやっぱりさびしいし、何か悪いことしてるって感じてしまう。
 さて、個人的なことで恐縮だが、「今の自分は何と幸せなのか」とつくづくこのごろ痛感する。何なのだろうか、このしあわせ感って。
行きたいところへ好きな彼女と行って、おいしいモノを食べて、SEXをして、またおいしいモノを食べて、暖かい布団でゆっくりと眠る。本当に日本人でこの時代に生まれてきて幸せだったと実感できるようになってきたのだ。これが一時的なものでなく、永続的につながっていかれるよう、切に、本当に切に願っているのだ。
 このためだったら本当に苦しい思いをしてでも乗り越えていこう、という気持ちもわいてくる。(本当に本当にその決意はあるんだろうな?と自分自身に自問自答しながら.....(^_^;))
 この世の本当のありようはだいたいわかってきたつもりだ。
9.11などの真実を知るにつれ、戦争などの大きな事件は一部の金持ち族によって動かされていることもわかってきた。でもその原因をつきつめて考えていくと結局は、一人一人のこうありたい、という欲が集約した結果、そうなってしまっている、というのも事実なのだ。背景にそういう金持ち族がいる、と言ったところで、その人たちを非難し追及できない大勢の人たちがいる以上、また、その世界でいい思いをしている人間が多い以上、この世は変わっていかれないのだ。
 自分だけおいしいものを食べたい、いい思いをしたい、とそう願っている人たちだけが集まった国でその人たちだけがしあわせに、これからもずっと暮らしている、っていう世界のありようって永く存続できるシステムだろうか?
 江戸時代の鎖国の時代じゃあるまいし、この地球上で生活している以上、地球市民として地球での住民税を払って、みんなでしあわせをシェアしていくべき道を歩んでいくべきだろう、とつくづく思う。
 となると、国家レベルでは当たり前になっている、
累進課税などの制度をもっと地球規模に拡大して、国レベルでの税金の徴収も必要になってくるのだはないかと思う。
 現実的には現在の国連をさらに拡大していく、という方法もあるだろうが、あまりにも、各国の利益代表の人たちが多いような気がして逆にそれを引きずるのもどうかな、って思う。
 地球規模の世界選挙をおこなって、地域ごとに何人か地球議員を選出するようにした方がいいのだろうか?
 でももしかすると、人間がこの地球を管理していくより、コンピュータなどから進化したシリコン生命体が制御していくシステムの方がより現実的な解なのかも知れない、などと考えたりしている。
 そうなると、ロボットと人間の戦い、などというSFの世界が現実に考えないといけない問題となってくるだろう。
posted by かもう しょう at 01:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月30日

過去世において親に捨てられるなどの人間不信から金だけを信じた(^_^;

 これも師の分析なのだが、私の過去世には親に捨てられるなどの人間不信から金だけを信じるようになったらしく、基本的に愛し方などがわかっていないのでは、とのこと。
 でもそれは過去世のことなので、そんな過去のことは思い癖なので、きっぱりそれらの思いを断ち切るようにしなければならない。
 そして常に母親的な人を求めて甘えていたのも、そのせいだと言うのだ。うーん、やっぱり彼女を求めいたのもそんな過去世のできごとが原因だったのだ。人間って過去世をひきずってしまうものなのだ。
 まあ、オーラの泉を見ててもそれはわかるけど....

ただ、もう、こんどは私が愛を与えたり、慈悲を施す番になったのだ。
いい加減、甘えるばかりの子供から、大人にならないといけないのだ。
もちろん体は大人だけれど、うまく感情的な自己憐憫を誘うような小賢しい知恵をつけた子供も演じる時があり、その意味ではずるい大人なのだ。
(^_^;

 そんな逃げ道を作らず、まっとうな本当の大人としての道を歩まなければならないのだ。
 そのためにも、もう一度、人生を振り返って、もっと深く、人間の深層を洞察し、奥底に流れる真理を読んで、その上での行為をなしていかないと、ただ表面的なものだけにとらわれて流されてしまい、刹那的な行為だけにとどまってしまうからだ。
 偽善的で儀礼的で表面的な刹那の行為を続けていたのでは、本当の真理も洞察できずに終わって、お金や自分の欲にとらわれてしまう小我の自分に落ち込んでしまうのだ。
 常に大我の心で人生を省みて、具体的に、どのようにしていくか、また守護霊に聞いてみよう。
(^_^;

posted by かもう しょう at 01:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月29日

過去の反省から魂に刻むこと

幼少のころからの記憶から、私の魂の記録をたどってみようと思う。

小学校一年のころ、妹が生まれ、私はいったん田舎のおばあちゃんのところへ預けられたのだった。そこからバスで小学校に通うことになって、そのこと自体は楽しいような記憶しか残っていなかったのだけれど、ところが同時の担任の女の先生が言うには、「最近、私の後ろにまわってアホとか、って言うようになってきた。そんな子ではなかったのに、なんでそんな風になったか知りたい」と母親に聞いたら、母親は妹ができて、そのことばかりに最近はかまけていて私のことはあまりかまわなくなっていた、答えたそうだ。そこで担任の先生は合点がいって、極力、私にもかまってあげるように、と泣きながらアドバイスしたそうで、それによって、私はまた元のまともな子供に戻ったそうだ。
 かなり愛情に敏感な子供だったようだ。
また悪賢さでも、抜群だったようだ。
小学校4年ぐらいのころ、愚直で貧乏な子の制服の背中に「ぼけ」と書いたら、そのこの母親が泣いて訴えてきたらしいのだ。
 先生も誰が犯人か捜そうと、すぐ名乗り出ろ、と言ってきた。
私は疑われないようにと、逆に進んで前に出ていって、そのぼけと書かれた色を説明したりした。そこで罪を免れたものの、逆にそのときの罪悪感をずっと心にしみこんだままで持ち続けなければならなかったのだ。(彼に会うたびにその思いを抱き続けなければならない、そんな子供の重い心理ストレスがあったのだ。なんか自分の邪悪性も意識しつつ)
 小学校6年のときは、やはり貧乏な近くの下級生の子を泥棒呼ばわりしていた。なんかお父さんが泥棒をした、とか、そんな噂を聞いただけなのだけど、その子までも泥棒呼ばわりしたのだ。
 その子のお姉さんが私の母親に直接、訴えてきて、私を母親はこっぴどく叱りつけたのだった。私は、それは本当だ、と必死に抗って、一時的には納得したように見せかけたものの、結局、納得せずじまいだったのだ。
posted by かもう しょう at 00:22| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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